飲み会が飲ませ会にならないように
- 三木崇稔(みき たかとし)
- 2018年12月26日
- 読了時間: 4分
皆さん、こんにちは!
デームコーチングオフィスの三木崇稔(みき たかとし)です。
今年も残りわずかとなってきました。
この時期と言えば、忘年会シーズンで、日本中至る所で飲み会が開催されていることでしょう。
飲み会は普段のストレスを解消するため、みんなでぱあと騒いで盛り上がる一方、羽目を外し過ぎて、トラブルが起こることもあります。
僕は幸い飲み会でトラブルに巻き込まれることはありませんでしたが、飲み会にはあまりいい思い出はありません。というよりも興味がなかったため印象に残っているものがほとんどありません。ただ一つを除いては・・・。

あくまで個人的な感想ですが、飲み会ではよく喋る人とあまり喋らない人の2種類に分かれるように思います。僕は、喋らないタイプでした。
なぜあまり喋らなかったかというと、食事は静かに食べたいと思っていたのと、みんなの前で取り立てて話すことがなかったからです。
ただ、飲み会の席では、盛り上がっていないと悪いという雰囲気を常に感じていて、とても居心地が悪かったのを覚えています。
それでも、大抵の場合は、適度に話を振ってくれ、それに軽く応じるだけで、あとは放置してくれるので、隅の方で静かに食事を楽しむことができました。しかし、とある時の飲み会でかなり嫌な思いをしたことがあるのです。
それは、ある職場の新入社員の歓迎会での話です。
仕事に慣れ始めていたある日、新入社員の歓迎会がまだだったということで、週末の仕事終わりに歓迎会を開催するという話になりました。
新入社員であった僕は、その当然参加する運びとなったのですが、正直にいうとあまり乗り気ではありませんでした。元々お酒も好きではなく、普段も全く口にしないうえ、人と話すのもあまり好きではない僕にとって、飲み会は何の興味もなかったためです。
けれど、僕も社会人になった以上、人並みの付き合いはしなければならない。そんな思いで飲み会に参加したのです。
「まあ、いつも通り隅の方で静かにしていればいいか。」
嫌々ながらも、始めは気楽に考えていました。なんだかんだ言ってこれまで参加した飲み会は、騒がしいながらもみんな楽しく笑いながら飲み食いしていたので、居心地の悪さを感じながらもあまり気にせず、のんびりと食事を楽しむことが出来ていました。
ただその飲み会は違いました。
始めから最後まで延々と不平不満や人の悪口などの愚痴の嵐だったのです。
もちろん、参加者全員がそうだったわけではありません。その飲み会では、運悪くよく喋るタイプの人が全員愚痴を言う人たちだったのです。
その時の居心地の悪さは筆舌に尽くし難いほど酷かったです。
そのため僕は、ただひたすらに早く飲み会が終わってほしい、そのことだけを考えていました。
そう思っていると、いつも以上に口数が少なくなっていた僕は、とある上司に目を付けられます。その上司は僕を指さし、こう言いました。
「三木君、ちょっと乗り悪いよ!飲み会なんだからもっと喋らないと!」
僕は「そうですね」と軽く作り笑いをしながら答えました。正直、その時若干顔が引きつっていたかもしれません。その後、上司はクドクドと飲み会での何たるかを語っていました。
ようやく、演説が終わったかと思うと、上司は最後にこう言い放ちます。
「よっしゃ、私がお前を変えてやる!」
聞いた直後は「どこを?」と思いましたが、上司の演説を思い出し、考えてみるとどうやらその上司は、僕に社会人として飲み会の正しい礼儀作法を伝えたかったらしく、僕を正しい社会人に変えてやるという内容の発言だったようです。

その言葉に僕は自分を否定されたようで、とても悲しかったのを覚えています。
この経験から飲み会という風習が良くない、なんてことはそこまでは思いませんが、飲み会はこうあるべきだとか、こうしなければならないなどの基準や決まりを設けることはあまり良くないように思います。
飲みにケーションという言葉があるように、こういった飲み会もコミュニケーションの一種であることは否定できません。ただコミュニケーションの一種であるなら、コミュニケーションの基本である相手の話や意見を聴くことを忘れてはなりません。
コミュニケーションはお互いが通じ合ってようやくコミュニケーションが成立したと言えるのです。一方が自分の伝えたいことだけを相手に伝えただけでは通じ合えたとは言えませんよね。相手がきちんと伝わったという返事を返してきてくれて初めて通じ合えたと言えるし、実感することができます。
自分が楽しい、嬉しいと思っていることが必ずしも相手の楽しいや嬉しいであるとは言えません。逆に、相手にとっては不快なものであることもあり得るのです。
誰かと本当の意味で親しく、仲良くなりたいと思うのであれば、楽しさや喜びは自分から押し付けるものではなく、相手から引き出すものであるということを忘れてはならないと僕は思います。

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