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自然環境を顧みない代償

  • 三木崇稔(みき たかとし)
  • 2019年7月29日
  • 読了時間: 2分

皆さん、こんにちは!

デームコーチングオフィスの三木崇稔(みき たかとし)です。


昨今、地球温暖化による海面上昇やそれによる台風被害の拡大などが懸念されており、それらを防ぐ為に自然環境の保護が世界中で叫ばれています。ただ、多くの人がつい先の話として、どこか危機意識を感じにくい問題でもあるようにも思います。


他の人が頑張っているだろうから、自分一人くらい大丈夫であろう。

時にはそう思い、ついつい自然環境保全の為の行動とはそぐわない行動をとってしまうこともあるのではないでしょうか?


人は基本的に主観的な見方で物事を見ています。要するに、自分に関係のある物事にしか興味を感じることが出来ないということです。つまり、自然環境保全のような人類全体の問題よりも今自分自身が直面している問題、個人的な問題の解決を優先して考えてしまうものなのです。


今の自分に出来ることを行う、大げさかもしれませんが、これが原理原則だと僕は感じています。もっと言えば、出来ると思えるものを行うことを行っていくしかないとさえ思うのです。つまり、その人が自然環境保全を行いたいと思えなければ、それはそれで仕方がないことだと僕は思います。


社会全体を考えるなら、自然環境を守る為の行動を起こすことが正しいことなのでしょうが、どんな人の中にも存在するエゴイズムの存在を加味するなら、自然環境を全く無視した行動もある意味人としては正しい行動なのかもしれません。そう思うと、この世の中に正しさ何て無いのかもしれません。


あるとすれば、自分が何を行うのかという選択肢だけでしょう。自分がどんな人間になりたいのか、人からどのように思われたいのか、自分が社会に対してどうしたいのか、それを考え、実行する。それがある意味唯一正しさと呼べるのではないかと感じます。


社会がどういう風潮だろうが、他人が何を言おうが、そこは重要ではありません。自分がどうしたいのか、それが大切なのです。ただ、忘れてはいけないのは、自分がこうだと思って行動したことには、必ず責任も伴うと言うことです。なので、ほんの出来心で行った行動も自分自身が選択して行った行動であることに変わりはないので、その責任は自分自身にあるのです。


もし自然環境のみならず、自分以外の人を全く顧みない自分中心の行動を取ることを選択したならば、必ずそれに見合った何らかの責任がいつの日か自分自身或いは自分にとって大切な存在に戻ってくることになるでしょう。そのことを踏まえた上で、どんな行動を取るのか?それを忘れてはなりません。



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