明日は地球の日
- 三木崇稔(みき たかとし)
- 2019年4月21日
- 読了時間: 3分
皆さん、こんにちは!
デームコーチングオフィスの三木崇稔(みき たかとし)です。
明日、4月22日は「アースデイ」、別名「地球の日」と呼ばれ、世界各国で地球環境について語り合ったり、考える日だそうです。
普段使用している水道や電気、車のガソリンなどのほとんどは地球からの資源、恵みであることは言うまでもないと思います。けれど、人というのは、当たり前であること、当たり前にあることに対して、次第にその有難みや貴重さを感じなくなっていくものです。
大事なものは失って初めて気づく
所有する実感というのは、ただ所有しているだけでは感じることは出来ません。持っていない感覚、いわゆる喪失感を感じてからでないと感じることが出来ないのです。
例えば、トヨタの高級車レクサスに乗りたいという人がいたとします。その人はがむしゃらに働き、やっとの思いで念願のレクサスを購入することができたとしたら、その人はどう感じるでしょうか?おそらく、喜びと達成感に満ちることでしょう。
なぜ喜びと達成感に満ちるのか?それは、どれだけ願っても手に入れることが出来なかった喪失感を感じていた苦しい時があり、その喪失感や無力感を乗り越えて手に入れたからです。だからこそ、その手に入れたレクサスはとても大切であるし、自分のモノになったんだという感覚がすごくあるでしょう。
けれど、例えばその人の親がとても裕福で、親がポンとレクサスをプレゼントしてくれたとしたらどうでしょうか?勿論、人によってはきちんと大切にするとは思いますが、自分が努力して手に入れたものよりもその大切さや重要度は大きくことなってくると思います。
だったら、一度何もかもを失わなければならないのかと問われれば、決してそうあるとは僕自身全然思っていません。ただ、僕は他の生物には持ち合わせていない人間唯一の能力を使うことは大切だと考えています。
その能力とは、ずばり「想像力」です。
仮に今自分が使用している水や電気、ガソリンなどの燃料などの資源が使用することが出来なくなったらどうなるであろうか?
こんな風に想像することは、現在発展してきている人工知能やロボットにも行うことは出来ません。現時点では僕たち人間にしか行うことが出来ないのです。
人は考える葦である。
哲学者パスカルの言葉です。人が人たらしめるのは、考える、思いを馳せる力を発揮することではないでしょうか?
明日はアースデイ、地球の日です。
今すぐに地球環境が改善される方法もありませんし、一人の力で何とかなるようなレベルの問題ではないのは確かです。
しかし、地球の大切さ、有難みを明日ほんの数分でもいいので、感じてみるくらいは出来るのではないでしょうか?
そして、まず自分にはどんなことが出来るのか?
そのことを考えて見てはいかがでしょうか?

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