小さな親切大きなお世話
- 三木崇稔(みき たかとし)
- 2019年8月4日
- 読了時間: 2分
皆さん、こんにちは!
デームコーチングオフィスの三木崇稔(みき たかとし)です。
何事においても、相手を想った行動をとる心配りは大切ですね。ただ、時には相手の為にと思った行動でもただのお節介になってしまうようなこともあると思います。折角相手の為を想った行動を取るなら、喜ばれる行動を取りたいものですね。
そこで今回は、親切がお節介にならない為の方法について考えていきたいと思います。
では、どういった親切がお節介となってしまいがちなのか。アドラーの言葉を借りるなら、それは相手の課題に踏み込んだ親切がお節介となってしまう可能性が高いと言えます。
相手の課題に踏み込む親切とは何なのか?それは最終的に相手が責任を持たなければならないような問題や課題、例えるならパッと思い付くものとして勉強だと思います。
皆さんは親或いは周囲の大人の人に学生時代、「勉強をしなさい!」と口酸っぱく言われたでしょうか?それともあまり言われなかったでしょうか?よく言われた人なら分かることだと思いますが、この「勉強しなさい」と言う言葉は言われ続けるとかなりうんざりしてくる言葉で、時には怒りを覚える言葉ではないでしょうか?
ただそう言っている側としては、おそらく将来いい学校へ行って、良い就職先に就いてほしいなどのその人の将来を想った親切だと思われます。けれど、もうお分かりかとおもいますが、この親切の多くは、ただのお節介でしかないとその受け手は感じていることがほとんどです。
では何故この「勉強しなさい」といった言葉が煩わしく感じるのかというと、勉強するもしないもその当人の問題で、他人にとやかく言われるものではないからなのです。他にも例を挙げれば、部屋の掃除をしようと思った時に親から「部屋の掃除をしなさいよ」と言われるとか体型が少しふくよかな時に「ダイエットした方がいいよ」と言われるとかですね。もしかしたら、気にしないという人もいるかもしれませんが、基本的に少しイラッとくるシチュエーションだと思います。
以上のことから、もし本当に相手のことを想うなら、あまり人の問題や課題に踏み込むような発言はしないようにした方が良いと言えるでしょう。仮に相手の領域に踏み込んでまでも相手を良い方向へと導こうと思うのであれば、命令口調は止めた方が良いでしょう。命令口調ではなく、あくまでも自分の考えや意見を言うに留めるべきだと僕は思います。

Comments