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  • 三木崇稔(みき たかとし)

信仰心とは何なのか?

皆さん、こんにちは!

デーム・コーチングオフィスの三木崇稔(みき たかとし)です。


明日は、新天皇になってから初めて行われる「新嘗祭(にいさめさい)」(その年に収穫した新米などを神々にお供えし、感謝をささげる)、いわゆる「大嘗祭(だいじょうさい)」が行われます。


僕自身、新元号が制定されて、新たな天皇が君臨することになって、この行事のことを知ることになったので、もしかしたらこれを機に、この行事のことを知るようになった人もいらっしゃるのではないでしょうか?


こういった神事は、古来より行われてきました。けれど、近年は日本人の多くは、無宗教者であることから、このような神事に重きを感じない、或いはそもそもそういった行事に必要性を感じないという人もいるかもしれません。それでも、岸和田のだんじり祭りや青森のねぶた祭りなどの祭りは多くの人が参加しますし、お正月には初詣として、新年の抱負を神に伝えにいくなど、普段は神を信仰していることはないけれど、ちょっとした神事に参加している人もまた多いはずです。


そもそも僕たち人間は、存在しているどうかも定かではない神に救いを求めたり、祈りを捧げたりするのでしょうか?


古来よりこの疑問について、多くの議論がされており、数多くの考え方や答えがあると思いますが、僕の意見として、心の安定を図る為であると考えています。


信仰心という言葉がありますが、その中で「仰」という字は、訓読みとして「仰ぐ(あおぐ)」と読みます。仰ぐは、言い換えると「上を向く」行為で、信仰心を言い換えれば、上を向いて、信じる心が信仰心ということができるでしょう。


心身一如という言葉があるように、人は暗く沈んだ心境であると、自ずと目線や肩などが下がりがちになり、中々上を向くことができなくなります。なので、目には見えず、本当に存在するかどうかは分からないけれど、「必ず自分に救いを与えてくれる」「自分を導いてくれる」と信じることで、気分も向上することから、信仰心という言葉が出来たのではないかと勝手に考えています。


だからといって、これから神を信仰する或いはどこかの宗教団体に所属するべきなんてことは言いませんが、どんなものでもいいので、何かを信じる気持ちを持つことは大切であることは確かです。そして信じる対象は、自分の周りにいる大切な人であったり、自分の趣味であったり、仕事であったりと何でも良いでしょう。


「あなたにとって、心から信じられるものは何なのか?」


この答えを明確にし、ブレず真っ直ぐに信仰し続けることが人生をより豊かにしてくれることは言うまでもありません。



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