他人と自分の違いを感じよう
- 三木崇稔(みき たかとし)
- 2019年4月28日
- 読了時間: 3分
皆さん、こんにちは!
デームコーチングオフィスの三木崇稔(みき たかとし)です。
最近、僕は感謝のハガキと題して、手紙を毎日書いているおり、その中でアクセントとして絵も描いているのですが、絵を描いていて感じることがあります。
それは物事にはすべてバランスのようなものがあるということです。
特に人物画を描いている時に感じるのですが、目、鼻、口、耳など人なら誰しも持っているものでも、色んなタイプがあり、絶妙なバランスで配置されていて、少しでもそのバランスが異なると、それぞれのパーツがきちんと描けたと思っていても全くの別物に見えたりするのです。
それは人以外のアニメキャラクターにおいても同じで、一つのキャラクターに対しても描く人によって千差万別、無数の別キャラクターが生み出されていると感じます。
このことから、僕はこんなことを思うようになったのです。
人にはそれぞれその人自身のバランスがあるのではないのかと。
絵にはその人の個性が出ます。漫画家さんを見れば、それがよく分かると思いますが、その個性の違いは何かと考えたら、やはり目の大きさや身長、手足の長さなどのバランスがそれぞれ違うからだと思うのです。
なぜ人それぞれ、自分の描く絵のバランスを変えるのか?
その答えとして、自分にとって居心地の良いバランスというのがあるのではないかというのが僕の考えです。
その心地よいバランスは意識的に行うこともあるかもしれませんが、基本的には多分無意識に行われていることでしょう。だからこそ、絵に個性が生まれるのだと思います。
言い換えれば、個性=バランスと言ってもいいかもしれません。
ここでようやく今回のテーマに触れるのですが、人というのは一人ひとりそれぞれ絶妙のバランスの元、皆形作られているのです。
だからこそ、皆それぞれ同じ人間だけれど微妙に違う生物と言えるかもしれません。それはそっくりさんと言われる者同士であったり、親子であってもよくよく見ると微妙に違うのです。その微妙にそれぞれバランスが違い、異なっているからこそ、人間関係においてズレが生じる時があるのでしょう。
人間関係においても世の中には模写のように、ピッタリと相手に合わせることが出来る人もいると僕は感じています。だたそういった人は模写と同様に凄く稀な存在だと思うのです。
だったら、無理にピッタリ合わせるのではなく、その違いを許容し、受け入れる方が楽だと思います。少しくらい違ってもいいやと。
ズレは埋めるのではなく、見過ごし、受け入れるのが先です。
受け入れた後に、埋められるのだったら埋める。そんな感じでいいと僕は思っています。

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