人を敬うということ
- 三木崇稔(みき たかとし)
- 2019年9月16日
- 読了時間: 2分
皆さん、こんにちは!
デームコーチングオフィスの三木崇稔(みき たかとし)です。
今日は敬老の日ということで、文字通り年長者を敬う日です。
ただ、よくある話だと思いますが、年長者であってもなかなか尊敬することが難しいと感じる人が中にはいると思います。
僕自身、父方の祖母に対しては、中々敬う気持ちを抱くことが出来ませんでした。その一番の理由としては、母と祖母の仲が悪く、祖母がいつも母の悪口を言ったり、法事などの親戚の集まりの時、母の分の食事を用意しないなどの嫌がらせをしているのを見てきたからというのが一番の理由だと感じています。たとえ血縁関係のある人でも、自分の親を悪く言う人にはどうしても怒りや拒絶の感情が湧いてきます。なので、物心ついた頃からずっと祖母のことは大がつくくらい嫌いでした。
そんな相手でも敬わなければならないのか?
敬老の日になるといつもそんなことを考えていたのですが、今はやはりそういった相手でも敬う気持ちを持つことは大切だと感じています。
勿論、嫌々敬うのは違うと思います。それに無理に相手のことを好きになる必要もないとも思っています。そして、ただ年長者だから敬えばいいということでもないでしょう。
なかなか難しいと思いますが、そこにいてくれるだけでいいと思えるようになること、それが印象が良くない相手を敬う第一歩なのです。僕の祖母に当てはめると、今でもあれこれと口うるさく嫌味や悪口を言ってくるのですが、僕の母の存在同様、僕の父にとって祖母は当然母なので、どんな人であっても母というのは特別な存在なのだと思います。なので、元気で生きていてくれることは父にとってはとても幸運なことなのだと思っているのです。言い換えれば、父が元気でいられるのは祖母のおかげとも言えるでしょう。
このように、自分基準で考えるとあまりよく思えない相手でも、誰かにとってはその相手が幸福を与えることがある。どんな人も誰かの役に立っている。そう思い、そのことに感謝することができれば、それはたとえその人を好きになれなくても、敬うことになる。そう僕は思っています。

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