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人を思う心、”恕す”気持ちを

  • 三木崇稔(みき たかとし)
  • 2018年12月6日
  • 読了時間: 5分

皆さん、こんにちは。

デーム・コーチングオフィスの三木崇稔(みき たかとし)です。


今回は、このブログの初投稿ということで、少し僕がこのブログを作ろうと思ったきっかけについて、お話しさせていただきたいと思います。


僕は昔から内気な性格で、自分に自信を持つことができませんでした。言い訳になりますが、コーチングで自立をしようとしたときも同様で、自分を売り出すことにどこか消極的だったのです。


その理由は、人の反応が怖かった、非難されるのが怖かったなどの不安があります。

そのため、以前つくっていたブログの更新も滞るようになってしまいました。


そこで、僕が行ったのは学んでいたコーチングの技法を使用したセルフコーチングです。

セルフコーチングで実施したのは、自分自身を許すことです。


コーチングの基本は、「信、認、任」と言われています。


僕が行ったのは「信」の部分で、言い換えるなら「自分を信じること」。今は他人から見たら全然ダメな人と思われたとしても、自分だけはそんな自分を信じよう、許してあげようそう思うことから始めました。


しかし、なかなか上手くいきません。なぜなら、人は辛い環境や苦しい状況に置かれているほど、視野が狭くなり、思い込みが強くなるものだからです。僕自身も自分はダメだという思い込みからなかなか抜け出せず、自分に自信を持つことができなかったのです。

そうしているうちに、自分が何をしたいのか、分からなくなってきました。


そこで、僕がコーチングを学んだ先生のコーチング、もとい相談をしたのです。

その相談で、先生が言及されたのは「覚悟」についてでした。

そして、先生はいいました。「僕には、覚悟がない」と。



とてもショックでした。そしてとても落ち込みました。

しばらくは、何も考えられないほどです。


ただ、改めて考えたところ僕には覚悟らしい覚悟はなかった、そう思い知りました。

そこからは、僕の「覚悟」について探す日々が始まります。


そして僕が思い付いたのは、「人に嫌われてみよう」という考えです。

唐突な考えだと思われると思いますが、覚悟とは何かを考えた時、何かを行う際に、僕が行動に踏み切れない理由を考え、思い当たったのが「人に非難されること」だったから、「人に嫌われる勇気」を持とうという発想に至ったのです。


もちろん、人に嫌がらせをしたり、悪口や陰口をいったりする迷惑行為を行うことではありません。シンプルにいうなら、自分が思うままに行動することです。


たとえば、当時働いていたアルバイト先で、人の顔色をみたり、ご機嫌をとるのではなく、自分がおかしいと思ったことや改善した方が良いのではと思ったことなど、少し言いにくいことでも、きちんと伝えることをしました。


結果、物凄く嫌われてしまいました。自分自身、驚くほど嫌悪感を露にされたのです。

今思うと、無理のないことだと感じています。「盗人にも三分の理」という言葉もあるように、どんな人でも理由や言い分があるものです。


なので、たとえ僕が改善した方がいいと思ったことでも、そのことを指摘したら、誰でもあまりいい気分にはならないでしょう。

ただ、この一連の出来事で、僕が行ってしまった過ちをたくさんの人が無意識のうちに行っていることを改めて実感したことです。


たとえば、僕が同僚の人から嫌われるきっかけとなったと思われる指摘が一例に挙げられます。


僕があるお客さんに商品の説明をしていたところ、その同僚の人は無理やり商品を押し売りしていると感じたのか、僕の意見も聞かずに僕とお客さんの間に割って入り、自分で対応を始めたのです。そのため、帰り際に今度からは、相手の考えや言い分を聞いてから指摘した方がいいということを伝えたのです。


おそらく、その人にとっては善意から行った指導だったのでしょう。しかし、僕が指摘したことで、その善意を踏みにじられた、その人はそう受け取ったと僕は推測しています。もしくは、僕も気付かぬうちにその人を傷つける発言をしてしまったのかもしれません。


ただ次の日から、その人は僕をとても冷たい目で見るようになり、露骨にさけるようになったので、真意は結局最後まで分かりませんでした。


フレデリック・パールズ
フレデリック・パールズ

「わたしはわたしの人生を生き、あなたはあなたの人生を生きる。

わたしはあなたの期待にこたえるために生きているのではないし、

あなたもわたしの期待にこたえるために生きているのではない。

私は私。あなたはあなた。

もし縁があって、私たちが互いに出会えるならそれは素晴らしいことだ。

しかし出会えないのであれば、それも仕方のないことだ」


これは、僕が大好きなフレデリック・S・パールズのゲシュタルトの祈りという詩です。今回、僕はこの詩の意味を深く、思い知った気がします。


特に最後の文、「出会えないのであれば、それも仕方がないことだ」

僕の解釈として、「人は必ずしも分かり合えるものではない、仮に分かり合えない場合はそれは仕方がないことである」、だから時には意見が違い、対立することもあるのだと思います。


大切なのは、「分かり合おうとするのではなく、相手を理解しようと努めること。」だと僕は思い知ったのです。このことに気づいた僕は、自分が何をするべきか、はっきりとしました。


今までは、人と人とが分かり合えるように人間関係を解消するコーチングを目指していました。ただ、コーチングにも限界があるのだと今は思うのです。場合によっては不可能でしょう。


それよりも必要なことは、一人ひとりがたとえ相手の考えに同意することができなくても、相手の考えを理解しようと思える心を持てるような取り組みだと、僕は思うようになりました。


以上のような理由から、僕が取り組むべきことは、相手と分かり合えない時に、相手を思いやる心、100歳を超えて現役を貫かれた医師日野原重明さんの著書「生きていくあなたへ」の中にあった言葉をお借りするなら、恕す(ゆるす)心を持つ方法について伝えていきたい、そう思ったのです。


そこから、僕はセルフコーチングを極めようと決意しました。このブログを開設したのも、その想いからです。このブログをみて、少しでも人を“恕す”心を持つヒントを得てもらえればと思います。


これまで、長文をご拝読いただき、ありがとうございました!




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