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二つの譲歩

  • 三木崇稔(みき たかとし)
  • 2018年12月22日
  • 読了時間: 5分

皆さん、こんにちは!

デームコーチングオフィスの三木崇稔(みき たかとし)です。


冬になると食べたくなってくるものと言えば、一つに鍋があると思います。

僕の家でも、週に2,3回は必ず鍋を作ります。特に僕が好きなのはキムチ鍋で、程よい辛さが寒さで凍えた身体を優しく温めてくれるようでよく食べています。


キムチ鍋以外にも世の中にはとてもたくさんの鍋があります。もつ鍋やちゃんこ鍋などの代表的なものからご当地の鍋も合わせたら、キリがないほどです。


このことから、鍋を作る際、困ることが一つあるのです。

それは、何味の鍋を作るのか?で少しもめることです。



最近では、一人鍋などの一人用の鍋が登場していますが、ほとんどの場合、鍋は複数人で食べます。食べる人の好みがある程度一致している時は問題ないのですが、僕が好きなキムチ鍋などは辛みがあるので、辛いものが苦手である人が一緒に食べる人の中にいた場合、別の鍋を希望し、意見が分かれるでしょう。


ただ僕の家族は、僕以外みんな辛いものが苦手であったので、もめる以前に我が家の食卓は、食事は辛いもの以外という暗黙の了解があったので、何の鍋にするかの選択肢にキムチ鍋は含まれていませんでした。それは鍋以外でも同様で、辛い物の代表であるカレーも甘口一択だったのです。


それでもこの我が家のルールから、一つ学んだことがあります。

それは譲歩する気持ち、そして大切さです。


コーチングをしている僕の信念の一つに、「誰もが自分らしく生きられるようサポートをする」というものがあり、自分の意見や考えをきちんと主張することの大切さをクライアントの方に伝えているので、自分の考えや主張を脇に置いて、相手の考えや主張を受け入れるのはおかしいと思われるかもしれません。


ただ、僕は自分の意見や考えをきちんと主張する前に、こういった相手に譲歩する気持ちが必要であるように感じています。


なぜなら、ただ自分の意見や考えをきちんと主張するだけでは、相手はその主張を聞き入れてくれる可能性は低く、むしろ敬遠されてしまう可能性が高いからです。


自分の意見や考えを相手に聞いてほしいと思うなら、まずは誰よりも相手の意見や考えを自分が聴くこと、このことは多くのビジネス書や啓蒙書などで書かれていることです。


本来、どんな人も自分の話を聞いて欲しいという欲求があり、認めてもらいたい承認欲求があるものです。そして欲求というのは、その欲求が満たされないと、その欲求に対して執着し、固執する感情が高くなるものです。


なので、まずは相手の承認欲求を十分に満たすと、相手が承認欲求に執着したり、固執すること可能性がグンと低くなり、こちらの話に耳を傾けてくれるようになるのです。これが相手に譲歩する大切さです。


僕も食卓に関しては、一切文句は言いませんでした。いわゆる家族みんなの意見に譲歩していた訳です。ただ、僕は外食時などのみんながそれぞれ別のものを食べられる時に、大体は辛いものを頼んで、辛いもの好きをアピールしていました。


その結果、ある時家族がいつも自分たちの好みの鍋を選んでいたから、今度は僕好みのキムチ鍋にしてくれることがあったのです。最初は、僕に譲歩したものの家族の人は少し嫌そうに鍋に手をつけていたのですが、食べてみると思いの外美味しかったのか、パクパクと食べ始め、すぐに完食してしまったのです。


それから、我が家の鍋レパートリーにキムチ鍋が加わることになったのです。



2種類の譲歩があります。

それは自分の主張を押し殺し、相手の意見や考えに従う自己犠牲的譲歩、そして、自分の主張はそのままに、その場では相手の意見や考えに沿う主体的譲歩です。


多くの人が、譲歩する行為は最初の自己犠牲的譲歩しかないという考えを持っているように僕は感じています。ただこの考えはとても視野の狭いものの見方です。


なぜこういった考えに至ってしまうのかを考えると、そういった考えを持つ人は、物事は白か黒かという二択しか答えがないという固定概念を持っているように思うのです。


ただ、こういった固定概念をもってしまうのは、仕方がないことかもしれません。なぜなら、僕たちは常に正しいか正しくないか、良いことか悪いことかなどの白か黒かの二択思考で物事を見るように教育されてきたからです。


その良い例が、学校のテストです。テストの評価基準はその答えが正しいのか正しくないのかだけです。そして、正しい答えの数が多い生徒は先生や両親などの周りの大人から評価され、正しい答えが少ないものは、大人たちから叱られてきたのです。


つまり、どんな人も正しさを競い合ってきたのです。


だからこそ、相手に譲歩するということは、相手の正しさを認めること、つまり負けを認めることだと感じてしまうのだと僕は考えています。


ただ、人生を幸せに、楽に生きるなら、勝ち負けの世界から退く方が良いでしょう。勝ち負けではなく、共に勝ちであるWin-Winの関係を模索すること、みんなが幸せになれる道を探すのが一番です。


けれど、どうしてもその場では、どちらかが譲歩し、傍から見れば負けに見える選択をしなければならない時もあるでしょう。そんな時は、長いスパンでのWin-Winを目指せばいいと思います。


また中には、常に自分の主張をして、こちらに譲歩をしてくれない人がいて、その人とはWin-Winの関係を目指せない人もいるかもしれません。ただ、それはそれで仕方がないことでしょう。


そんな時も広い視野で、その人にこだわらず、別の人とWin-Winの関係を目指し、よりよい人間関係を築いていけばいいだけの話です。


お互いがお互いを譲歩し合える関係、そんな双方向な関係こそ、良好な人間関係と言えるのだと僕は思います。



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