いつも心に謙虚さを
- 三木崇稔(みき たかとし)
- 2019年4月18日
- 読了時間: 3分
皆さん、こんにちは!
デームコーチングオフィスの三木崇稔(みき たかとし)です。
効率が良い、生産的である、このように仕事が上手く回ることはとても良いことです。
現に、資本主義の考え方が生まれてからは、利益最大化を最優先事項として、どの企業も会社を運営してきたので、人の価値を決める基準の最たるものが仕事ができることでした。
なので、仕事ができないこと、それは正に罪であるといっても過言ではなかったのです。
ここで一つの疑問が生まれます。
「それは仕事ができる、できないの基準はなんであるか?」ということ。
たとえば、とある作業に対する所要時間や一定時間内でどのくらい生産できるかなどで判断できると言えるかもしれません。けれど、単一作業で仕事の優劣を判断することは、個人的にかなりミクロ的な視点であると感じてしまうのです。
人には向き不向きがあります。そして、世の中にはありとあらゆる仕事があるのです。
だからこそ、全てのことが得意な人もいないし、全く弱点がない人もいません。
ただ、中にはどんなものもそつなくこなしてしまう万能超人みたいな人、たとえば万能の天才と呼ばれたレオナルドダヴィンチみたいな人がいるのではないかと感じる人もいることでしょう。
僕自身、そういった万能な人はいるのだろうなとは思っています。けれど、万能であっても全てにおいて一番をとれる人はいないと考えています。どれだけ万能な人であっても、何かの分野で他の人より劣っているものがあるはずです。
要するに、どんな人も他人を優劣で判別する権利はありませんし、することもできないはずなのです。仮に判断できる人がいるとするならば、その人とは自分自身のことです。
勿論、人によっては人を管理したり、会社に必要な人材を見つけたりしなければならない立場にいる人もいることでしょう。けれど、僕が思うに、そういった立場にいる人こそが、人は他人を区別することができないという考えを常に念頭に置いておかなければならないと思います。
なぜならもし、自分が人を選び、区別できるという傲慢さに憑りつかれたら、その傲慢さにより判断基準が自分のものだけになり、物事を見る視野が極端に狭くなってしまいます。そうなると、本当に必要なものを見つけることができなくなってしまうことでしょう。
高い所から見たら大きいものは見えるかもしれませんが、地面にある小さいものを見ることが難しいでしょう。けれど、低い所から見れば大きいものも見ることが可能です。
大切なことは、どんな時も誰に対しても人を見下すのではなく、も敬い、尊ぶ目で見る心を持つことだと僕は思います。

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