馬鹿げていることの大切さ
- 三木崇稔(みき たかとし)
- 2018年12月12日
- 読了時間: 5分
皆さん、こんにちは!
デーム・コーチングオフィスの三木崇稔(みき たかとし)です。
まだ僕が覚えていないくらい幼い頃、家族で旅行のために空港へ行ったことがあるそうです。初めて乗る飛行機、僕は普段大人しい様子だったそうですが、その時は少し興奮していたと母は語りました。

そんなどこかウキウキした表情で、窓にへばりついて外を見ていた時、ある光景を見て僕の目を輝かせたそうです。その時僕が見たある光景とは何だったのか。この答えは、もう少し後でお伝えします。
そのある光景を見た僕は、母にこう言いました。
「すごい!カッコイイ!僕将来は空港で働きたい!」
その言葉を聞いた母は当然かっこいいのは飛行機のことだと思ったそうです。だからこう答えました。
「かっこいいよね飛行機!じゃあ将来は飛行機のパイロットさんだ!」
母の言葉に僕は首を振りました。そして、返事の代わりに僕が先程見たある光景を指ざししたのです。母は僕が「何だろう?」と思い、僕の指さすものを確かめるため窓の外を見ました。そこには、ライトスティックを振り、飛行機を誘導する航空機誘導員の姿があったそうです。
呆気に取られている母をよそに、僕はこう続けました。
「あの人あんな棒みたいなもので、飛行機を操るなんてすごいよね!」
子どもは良くも悪くも無知であり、純真であると僕は考えています。それに知識や知恵を身につけることはとても大切なことであるとも考えています。
ただ人は、大人になり、社会生活で知識や知恵をつけていくことで失われていくものがあると感じています。それは、「好奇心」です。

子どもの頃は知らないことばかりでした。先程の飛行機の話も僕が飛行機を動かしているパイロットの存在どころかパイロットという言葉さえも知らなかったのです。だからこそ、飛行機を動かしているのはあの航空機誘導員であるという発想になったのでしょう。
ただ母にこの話を聞いて、僕は自分のことながら面白い発想だなと思いました。けれど、今の僕はこのような発想をすることはできないと感じています。
なぜなら、僕はもう既に飛行機を動かしているパイロットの存在もその役割も知っているし、航空機誘導員の本当の役割も知ってしまっているからです。
「大人は子どもの手本となるように行動しなければならない」などと言われますが、大人が子どもから学ぶべきこともたくさんあると僕は思うのです。その一つとして、「好奇心を持つ心」が挙げられます。
僕たちは、知らず知らずのうちにどんなことも知ってしまっている気になっているところがあるのではないでしょうか?知っていると思っているからこそ、人は知ろうと思う好奇心が低下してしまうのだと思うのです。
なので、僕たちは時にはバカになることも大切だと考えています。たとえば、子どもがいる場合、普段ならとても馬鹿げた遊びだと思うものも子どもと一緒になって遊んでみるなどです。勿論、子どもに危険が及ぶものなどは止めることは必要ですが。
何度も言うように、子どもは良くも悪くも無知であり、純真です。そんな子ども達が思い付く行為には、何らかの面白みや興味が隠れているものです。
そして、その面白みや興味は普段、大人たちが当たり前だと思ったり、くだらないと感じたりして見過ごしてしますものがほとんどです。それを子ども達と遊ぶことで共に感じ、分かち合うことで新たな気づきが生まれると僕は思います。

勿論、この方法以外にもたくさんバカになれる方法はあるでしょう。ただ、多くの人はこのような幼稚な遊びをしたり、他人から奇異な目で見られたりする行為、いわゆる馬鹿げたことは避けるべきだと考えているのではないでしょうか?
ただ夢をかなえる人は、他人から見たら馬鹿げたことだと思うことを、ひたすら信じて行動してきた人たちばかりです。あの世界的に有名なオンラインショップAmazonの創始者ジェフ・ベゾスはインターネットが広まる前に、Amazonのビジネスモデルを構想して、人に話した時、「馬鹿げている」と誰もが口にしたそうです。
しかし、ベゾスは自分の中にあった好奇心を信じ、Amazonというビッグビジネスを生み出したのです。
実現可能な目標や夢を掲げることもとても大切です。ただ、それ以上に大切なのは、その目標や夢を本当に実現したいと感じているのかだと僕は思います。
賢くなること、物分かりがよくなること、このことは決して悪い事ではありません。けれど、賢くなること、物分かりがよくなることは、同時に好奇心という心に蓋をしてしまうことがあることを忘れてはなりません。
人生という壮大な物語を描く作家は、自分自身です。
他の誰かがなんと言おうとも、自分が本当にやりたいと思うことはやった方がいい。たとえ、周囲から同意もされず、反対されるものであったとしても。
夢を持つ上で考えるべきことは、実現可能か現実的かではありません。実現可能か現実的かを考えるのは、後から考えるべきことです。
「自分が心のそこからやりたいと思うことは何なのか?」
この問いに明確に答えられる好奇心を満たせるものを考えるべきだと僕は思います。
最初から無理だと決めつけて、諦めていることはありませんか?
くだらない、馬鹿げているという気持ちで、見てしまっているものはありませんか?
あなたの心に眠る好奇心はありませんか?

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