失敗や過ちを防ぐ正しい方法とは
- 三木崇稔(みき たかとし)
- 2019年7月24日
- 読了時間: 3分
皆さん、こんにちは!
デームコーチングオフィスの三木崇稔(みき たかとし)です。
どんな人でも大なり小なり失敗や過ちを犯してしまうことがあるものです。例えば、朝寝坊をしてしまうとか、そのせいで遅刻しそうになり、車のスピードを出し過ぎてしまったとか、結局間に合わず遅刻してしまうとかですね。まあこれは僕の経験談なのですが。
ともかく、どんな人もこういった失敗や過ちを犯してしまったという経験はあるはずです。ただ、こういった失敗や過ちを犯してしまった場合、多くの人が気にかけるのは、今後どうすれば失敗しないようにするのかという予防策だと思います。その証拠に、親が子に対し、上司が部下に対し、ミスをした時にまず尋ねるのは、「何故ミスを犯したのか?」という原因の追究ではないでしょうか?
何を当たり前のことを、そうお思いになられるかもしれませんが、実はこの行為はあまり効果的ではないどころか、かえって逆効果となる場合が多いのです。
何故かと申しますと、人がどんな時に最もよいパフォーマンスを発揮できるかというと、ワクワクしている状態、つまり楽しいややりがいを感じている時なのです。ただ、おおよその人がそうだと思うのですが、失敗や過ちを犯してしまった時、気持ちはとても沈んでしまっているものです。その上、原因の追究を行うと更に圧迫感を感じ、更なるパフォーマンスの低下を招くことになるからです。
多くの人が何気なく使っている「なぜ?」という言葉なのですが、この言葉は相手が詰問されていると受け取ってしまう代表格の言葉なのです。お子様をお持ちの方なら経験があるかもしれませんが、よく物を覚え始めた言葉があらゆる物に対して「なんで?なんで?」と質問攻めをしてくるとかなり煩わしさを感じてしまうことがあると思います。正しくそんな感じですね。
つまり、失敗や過ちを犯してしまった時は他人に対して、更に言えば自分に対して「なぜ?」といった原因の追究はあまり行わず、「どうすればミスを行わずに済んだのか?」という方法や解決法を模索することが大切です。
特に他人に対しては、この意識を強く持っておくことが重要だと僕は感じています。全員が全員とは言いませんが、やっぱり人は悪い事をしてしまった人を責めてしまう気持ちを持っており、罪は罰さなければならないという裁判官のような側面があると思うのです。
ただ、「罪を憎んで人を憎まず」という言葉があるように、人を真に更生させる為には、ミスや過ちを犯してしまった人に対して責め心を持つのではなく、犯してしまったミスや過ちに対して、しっかり向き合うべきでしょう。それに自分だって、いつかミスや過ちを犯してしまう可能性は十分にあるのです。もし自分がミスや過ちを犯してしまった時、他人からとやかく言われたくはないのではないでしょうか?
もっと突き詰めて言うなら、どんな人も他人を裁く権利はないと僕は思います。唯一、人を裁ける裁判官だって、過去の判例や多くの人々が悩みに悩んで定めた法に基づき、私情を挟まず、公平に裁くことを求められている訳です。言い換えれば裁判官個人の価値観ではなく、様々な人の価値観のもと、判断をしている訳です。
それに人を裁くということには大いなる責任が伴うことも忘れてはいけません。ミスや過ちを指摘するだけで大袈裟なと思われるかもしれませんが、ミスや過ちを言及する些細な行為も度が過ぎれば人の命を奪うことだってあり得るのです。
言葉というのは、おそらく皆さんが思っている以上に強力な力を持っているのです。時には人を癒すこともあれば、人をズタズタに切り刻んでしまうこともあるのです。なので、ミスや過ちを犯してしまった時以外でも人に対する言葉掛けは、十分に気を付けた方が良いと僕は思います。

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